昭和44年08月09日 夜の御理解



 午後からの奉仕の時でしたか、上野さんがここに出て参りまして、ご本部から帰りまして、初めてゆっくりあちらの模様の、おかげを受けておることなどを、いろいろお届けをもうしまして。お礼を申しましたり、お願を申しましたり。色々お届けがありました中に。現在自分が班長を致しておりますから、いろいろ責任上いろいろな問題がやはり、班内におきるらしいです。
 そう言う様な問題が自分の所だけで、収まりがつかずにもう先生方やら、学院長やらの耳に入っていろいろ、班長が責任をとらなければなりませんので、いろいろ先生方から話しがあるそうです。そういう時に皆さんがどういう風に思うておるかと、いう事に対しましてからもうとにかく、私の不徳のためにこういう事になりましてと、ただ黙って祈る、黙ってその事を、自分の不徳をお詫びさせてもろうて、お願するより外にありませんからそうしております。という事を言った所が。
 先生が仰る事が、それは上野さん卑怯だと。そういう事は卑怯だと。やっぱし言う所はポスポス言わなければいけないと。言った様な意味の事を言われた事を聞かせてもらって、なるほどもう構わんぞと言った様な気持ちで、そういう風に、いうならば卑怯かもしれませんけれども、真剣にその事に取り組んで、本気で班員の、例えば不始末は班長の不始末としてそのお詫びをし、しかもその事を言うても聞かんのであるから。
 祈りよる外にないというその生き方がです、大体本当なんですけれども、まあそこが学院だなとまあ言うてお話した後に、私が申しますんです。それでいいのだと。けれどもねここに一つ皆さん。本当に真剣に自分自身が考えなければならない事はね。そういう問題を起こす例えば、問題を、はらんだもの。それが班長であるあんたの心の中に、そういう問題をはらんでおるのだと。
 そういう問題の内容があんたの内容にあるんだと、言うことを思わなければ、私はどこへ行っても問題が起こる。それは皆(?)からである。あの人が悪いこの人が悪いのだけれども、その自分が行く所にもし問題が起きるとするならなば、そういう問題を起こるものを自分の心の中に、はらんでおるということをです、悟らなければいけんねというてまあ話した事でございます。
 もう信心は私はそこより他にない。ね。ここ教会全体の問題が例えば示しがつかないとするならばです、これは教会長である私の内容にそういう、どうにも出来ない問題困った事と言った様なものの内容は、私の信心内容にはらんでおるのだと、していくということがこれはもう、私の信心でありますが、しかしやはりあの、お徳を受けられた先生方はみんなそうであったと思うですね。
 「我良しと思う心をあだとして、日ごと夜ごとに戦いて行け。」と言う様に例えば人の悪い事でも自分の悪い事として、その受けて修行をなさっておられる方達が、やはりお徳を受けておられますから。ただ今も、久富さんのお届けを聞かせて頂きよりましたら、嫁さんのお届けちゃんこうとしてありましてね、「この頃先生、けいこさんが本当に心の上にお繰り合わせを頂きまして。」そりゃあんたどんが良かけくさい。とこう言いたいような感じですよね。
 例えば、例えばなるほど赤の他人の、ぜんぜん家風の違った所から、久富の家に嫁にいって来ておるのですけれども、始めからよかろうとは思われませんけれども、段々段々問題がある度にけいこさんが、心の上にお繰り合わせを頂いていく事になる。だから始めから例えば十人なら十人の班員のものが、様々な東北から来ておるものもおれば、北九州の端から来ておるものもおる。そういうものがごったになって、一つの班を形成しておるのだから、始めから良かろうとは思われません。
 けれども、問題のあるたびにその班員の一人一人がです、おかげを受けていきまして有り難う御座いますと。それは上野さんあんたが、よかけんでと言うことになってくるのであってですね、ここんところを、私は本当におかげを頂いていきたいなあとこう思います。今日は昨夜遅く指出の、村のうちの方で、全然お参りした事がない方なんですけれども、その地鎮祭をして頂きたいと。それから古井戸を潰したいからまあいうなら、( ? )をして欲しいと言った様な意味の、そのお願いに昨日見えておりました。
 それで皆が朝早うが良かろう、けれども色んな準備もありますから、地鎮祭といっても注連を作ったりお供え物を調饌したり、注連縄を造ったり、竹を切って貰ったりしておかなければなりませんから、もう一遍明日来て下さいというておりましたから、今朝から見えたらしゅうございます。私はずっとお取り次ぎにあの、しておりましたから、全然知りませんでしたけれども。
 今日は若先生が光昭を連れておかげを頂くと。色んな玉串を作ったり、色んな道具を持って行ったり運んだり朝からしておるんです。それでもう時間になりましたから二人で丁度暑いさなかに出て参りました。装束つけて向こうの家、取り壊してしまってあるそうですから、その装束を着けかえる所がない。それで二人ながら装束を着けたまま、ここから出て参りましたが私はその後思いました。
 本当にこげなもんを着てから行かにゃんならおかしかばの。もう私はいかん誰か修行生の人でもやってくれんのというても仕方がない。けれどもちゃっとその事を誰もどうも言わんのに、若先生は朝からその祝詞を作成する。光昭は色んな道具の用意を準備をさせて頂いて兄弟二人が出ていく後ろ姿をですね、まあ拝ませて頂く思いで有難い事だなあと、行ってくれ行かんのという事も要らずに兄弟二人がああやってやってくれる。
 有難い事だなあと思うて、神様にお礼をもうさせて頂きよりましたら、私がこうやって刀をもってこうおる。その両方からですね、兄弟があの刀を打つ時に注連縄を着て装束を着けてやるでしょう。あの両方から右左からあの、いわゆる阿吽の呼吸をに会わせてあのトンチンカン、トンチンカンと言うてその名刀を鍛え上げていく。ああいう状態を頂くのです、兄弟がああいう何というんですか、あの装束を身につけてそして刀を打とうとしておる、そういう姿を拝ませて頂いて、愈々私は有難いと思うたのです。
 明日はあげな村内の信心のないところにしかも、ね、私は行かんというたっちゃ仕方がないけれども、行けとも誰がともなんもいわんのに兄弟二人が話しあって、思いおうて、色んな準備を整えて参ります姿を思うてお礼をもうさせて頂きよりましたら、それなんです。だからこれなんかは言うならば、今日の御理解から言うとですたいね、いうならば、私の手足のように動いておってくれているんだと。
 私の方の息子は言うことを聞かん。私のほうはこうだと、ちんばを踏んどると言った様な意味の事であったならばです、これはやはり誰彼じゃない私自身が考えなければならないと言うこと。けれどもおかげを頂いてです、本当にそのことの御用を兄弟二人でさせて頂いておると言うこと。ね。これは私はやはり合楽のおかげを頂いておる姿であると私は思わせて頂いたのですけれども。ね。
 まあ久富さんのことといい、上野さんの事といい、そういう私はあの信心の姿勢というものをいつももって、おかげを頂いていかなければならない。もし、問題私を中心にして問題が起きたならばそういう問題をはらんでおるのは私の心の中にはらんでおるんだと。あれがあげんいうたからこうなったというのじゃなくて、そういう風な意味合いにおいてです。信心を進めていくという事は。
 そういう意味合いにおいて私が改まっていくより外にはない。そこに私の思いが思い以上に例えば上野さんでいうなら、班員の者が上野さんの手足のように動いてくれる。久富さんでいうならば家族のものが、本当に最近参りました嫁も共々に久富の家風にちゃんと合わせていってくれるというようにです、心の上にお繰り合わせを頂いていけれると言う事をですね、願いとしなければならないという事ですよね。
   どうぞ。